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週末田舎暮らしの毎日が色鮮やかな本当の理由

「旅」の楽しみから「定住」の愛着へ、続けるほど深まる二地域居住の魅力とは?

馬場未織馬場未織

2017/03/16

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二地域居住の魅力は「旅する人生」? それとも「とどまる価値?」

「週末田舎暮らしをしています」というと、まず注目されるのは“週末”でも“田舎暮らし”でもなく、その間にある往復運動についてだということが多いです。

「毎週末、大変ですね」と言われ、何か常に移動している人だという印象を与えるのだということに気づきます。二地域居住はどちらかというと、ノマドライフや旅する人生の類としてとらえられている証拠ともいえます。

変化と刺激のあるライフスタイルに、漠然とした可能性や夢を感じる人は多いでしょう。いつもの場所、代わり映えのない日常、固定されたコミュニティ、そんな閉塞感を打破してくれる何かがあるのではないか、と。そうすれば、人生の次のステージに行けるかもしれない!と。

自由と自己改革を求める気持ちから、“旅”の要素を欲するように二地域居住を求める人もいるでしょう。そして実際、その効果も大いにあります。

同時に言えるのは、二地域居住はふたつの地域に根を張る暮らしですから、“定住”の要素も多分に含まれているということです。実際、平日の家がある場所も、週末の家がある場所も、自分にとっては地元であり時間を重ねていく場所です。

そうした“とどまる価値”については、これまであまり注目されていないような気がしています。大抵の人はどこかに定住していますから、新鮮味がないのかもしれません。

そこで今回は、二地域居住のなかにある“旅” 要素と“定住” 要素について、それぞれ考えてみようと思います。

次ページ ▶︎ | <旅要素1>旅のような高揚感を楽しめる

<旅要素1>旅のような高揚感を楽しめる

二地域居住の魅力のひとつとして、だいぶ長い間、旅のような高揚感が楽しめるということがあげられます。私の場合、新しい土地での発見の日々は、11年目になるいまでも続いています。もう十分に年月を重ねているはずなのですけれどね。

風景を見ても何とも思わなくなっちゃった、ということもありません。西向きに設(しつら)えたデッキから夕陽が落ちるのを見る日曜の夕方、「ああ明日はこの風景が見られないなと」名残惜しい気持ちがするのは、旅行の最終日に帰りたくない気持ちがあるのとよく似ています。

<旅要素2>「日常を区切る」ことで暮らしが豊かになる

ひとつの連続した人生でありながら、それが東京・南房総・東京・南房総…というシマシマの日常で成り立っていると、切り替えのときに都度、ハッとするようにリセットできるのでしょうね。それは確かに、旅要素の効力です。また、その切り替えによって東京の暮らしさえ鮮やかに見えてくることもあります。

二地域居住を始める前は、生まれてからずっと住んでいる東京は果てしなく続く変化なき日常の象徴でしたが、南房総でさまざまな発見のある暮らしをしていると、東京での暮らしを受け止める感度も上がります。価値が低いと思っていた近所の児童公園に生きものの息遣いを感じたり、商店街のコミュニケーションに心地よさを感じたり。結果的には、人生全体の彩度が上がることになります。

また、週末を南房総で過ごすわが家の場合、南房総は旅先と同様、想い出の集積場所となっています。「あの海で見た魚は美しかったね」「宿の料理が抜群に美味しかった」「今度行ったらまた滝で遊びたい」といつまでも家族で振り返るような記憶は分厚い旅のアルバムのようで、そのまま家族の歴史となっています。

移動、つまり「日常を区切る」ことで得られる認識力の向上は、二地域居住の意義のひとつかもしれません。

もちろん、旅と同じように移動コストはかかりますが、身を置く環境を変えてこそ得られるものの大きさは、費用や労力に見合うものだと言っていいでしょう。

(参考記事)
だから私は田舎を選ぶ。「自然のなかで子育て」をしたくなるワケ

次ページ ▶︎ | <旅要素3>「濃いファン」として地域に貢献できる

<旅要素3>「濃いファン」として地域に貢献できる

一方、そうした定期的に訪れる「濃いファン」の存在が地域にメリットをもたらす場合があります。

観光客というのはその地に一度来たら当分は来ないことが多いでしょうが、二地域居住者は定期的に足を運んでくれるのですから、地域に落ちるお金が安定的に増えます。また、拠点を複数箇所持つ人口が増えることが、深刻化する空き家問題のひとつの解決策にもなりえると言えます。

二地域居住者を「地域に滞在する時間の少ない住民」「頼りにならない住民」としてとらえる向きもあるようですが、「いつもいつも来てくれる外部者」「浮気しないファン」と考えると歓迎される気がしますから、何とも不思議なものですね!(笑)。

<定住要素1>土地への愛着、社会的つながりが生まれる

金曜の夜、南房総の自宅に着くと心底ほっとします。いつもの家があり、いつもの匂いがあり、いつものコミュニティが待っていて、いつものようにやることがある自宅です。移動はしますが、行きつく先も自宅ですからね。

先に二地域居住と旅との共通項を述べましたが、二地域居住は、実は旅的人生とは真逆なものでもあります。だって、「旅行に行く機会が減りませんか?」と言われれば、その通り(笑)。限りある人生で考えれば、さまざまな土地に行く機会を、ひとつの土地で春夏秋冬を味わう時間に振り向けているわけですから。

旅=刺激、定住=安定と捉えると、二地域居住は実践年数によって意味合いが変わっていくのが面白いところです。初めめの頃は旅的な要素が強く、次第に定住的な要素が増していきます。わたしの場合はここ2~3年で、南房総に対して「ああ、ここは落ち着く。ここが手放せない」という感覚がぐっと大きくなりました。

思い返せば10年前には、家族5人で新しい環境に飛び込み、家族だけで体験の感動を共有していました。ありとあらゆる野遊びをして楽しみつくすなかで、 “里山”という環境と仲良くなっていく醍醐味がありました。知り合いが少ないことに意識がいくこともなく、都市生活とのコントラストをとことん味わっていたように思います。

そうした体験の重なりによって、“土地への愛着”がどんどん膨らんでいきました。

その後、次第に知人友人が増え、南房総でもしっかりとした社会的つながりができてきました。「自然環境のある南房総」だけでなく、「南房総という社会」に身を置くようになったという感じです。二地域居住でありながらも、強い“定住感”を持つ所以はここにあるでしょう。

次ページ ▶︎ | <定住要素2>「ここに住みたい」と思える人間関係ができていく

<定住要素2>「ここに住みたい」と思える人間関係ができていく

旅は、刺激や変化を求める欲望に由来するとしたら、定住は、安らぎと持続可能性を求めるものだと言えます。それは上記の通り、土地に根ざすだけではなく、家族やコミュニティといった“人”に感じるものでもあります。

つまり、たとえひとつの土地に住んでいたとしても、そこでの人的関係が希薄であれば、定住感も希薄だということ。もちろん土地の魅力は人だけではありませんし、人ばかりの都市環境から逃れたいと田舎暮らしをする人もいると思います。ただ、「そこに住んでいたい」と思える理由のひとつとして、人的関係は無視しがたいものです。

夜、南房総の家へと田舎道を走るとき、「ああ、もう○○さんは寝ちゃったかな」「明日は○○さんの出店するイベントだな」と、大事な友人たちの顔が次々と浮かんできます。そして実際、買い物中に知り合いと逢う機会などが増え、東京の家の近所と何ら変わらない親密なエリアとして心を許していくのです。

もちろん、定住しているのと同じく地域の仕事を担う必要は出てきますが、それによって土地の魅力を消費するだけの観光客とは異なる“当事者意識”が形成されるとも言えます。

二地域居住が“旅”から“定住”へと変化していくとき、南房総は自分にとって、ほかのどの場所とも比べられない、置き換え不可能な価値をもった土地となります。

(参考記事)
ギブ・アンド・テイクを超える。田舎暮らし的ご近所づきあい

<定住要素3>外の視点を持った立場で地域貢献できる

もうひとつ、定住感を持つようになったのは、“わたしの家”ではなく“わたしの住む南房総”が気になりだしたことがあると思います。地域のことが他人事ではなくなってきた瞬間です。

たった数日滞在しただけの旅先にだって、「もしあの珊瑚礁が白化したら」「大きなリゾートホテルが建つらしいけど大丈夫かな」と、思い入れを持つことがありますよね。南房総に対しては、その何倍もの興味を持つようになったのは自然の成り行きです。

美しい里山景観を眺めて過ごし、自分も草刈りなどの野良仕事で風景をつくる一員となるなかで、この環境を維持する人材が未来に向けて少なくなっていくことを案じるようになりました。また、夏に親しんでいる海岸近くに残土処理場ができると聞いたり、空き家や空きビニールハウス、空き牛舎などがぐんと増えている現状を目の当たりにしたりすれば、心は大いにざわつきます。

そして、「自分にできることはないかな?」と自然と考えるようになります。

こうして土地と向き合う力が宿ったとき、二地域居住とはいえ、これは“定住”であると思うようになるのだと言えます。二地域居住者や移住者にパブリックマインドが生まれやすいのは、その土地に惚れこんで家を持ったという経緯があるからかもしれません。

実際には居住時間が少ないことで半人前の働きしかできない二地域居住者ですが、外の視点を持った立場を活かすことで、地域貢献は可能です。「惜しみない愛と当事者意識を持った外部コンサル」として見れば、地域にとってこれほどの強い味方はいないわけです。

地元からは半分外にはみ出ている人間だと思われていたとしても、当人は間違いなく、自分は地域の人間だと思っていますからね!(笑)。

(参考記事)
二地域居住もそのひとつ。個人にできる地方創生とは?

「ただ労力のかかる生活」にしないために

旅と定住、どちらの要素も持ち合わせる二地域居住。

刺激がほしい、安定もしたい、と欲張りな人間の選択肢と思われがちですが、ひとつ言えるのは、二地域居住は「足りないものを外からもらう暮らし」ではないということです。

自分で価値を見出し、豊かさを積み上げていかなければ、ただ労力のかかる生活として疲弊します。それだけを心にとめ、ドラマティックで安らぎのある二地域居住をぜひ謳歌してみてください。

(参考記事)
東京と南房総、どちらかではなく「どちらも選ぶ」。それが二地域居住のファイナルアンサー

 

 

 

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この記事を書いた人

NPO法人南房総リパブリック理事長

1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

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